毎日毎日、戦争のニュースに心揺さぶられているひとは多いと思います。
コロナ禍に加え、今回の戦争の影響もあり、物価がさらに上昇しています。人々は衣食住を支える為に、こつこつと各々の仕事に取り組んでいます。食料を生産する人々は、例えば、いろいろな材料を使って弁当を作る店の店主であれば、材料が次々に値上げされる中で弁当の価格を上げないようにいろいろな工夫をして努力を続けている人達が多いと思います。そのような努力で、その弁当を買って食事とする民衆がいて成り立っています。その関係の中で、お店のひとは、お客さんに喜んでもらえることに幸せを感じ、お客さんは、安くて美味しい弁当を食べて幸せを感じるというような状況を見ていますと、人々はそのような小さな努力の積み重ねの中に日々の幸せを感じて生きていることがよく分かります。この例のような幸せの構図があちこちに無数に散りばめられています。人々の大多数が幸せになる為には、このような幸せを尊重することだと思います。このブログで幸せの基礎は平和であることと常に主張していますが、それを皆が維持することに努める世界があれば、その上に築かれる幸せは、人ひとりひとりの小さな幸せなのです。小さなと言うのは、他人の幸せをお互い尊重し邪魔しないことが重要だと言うことで、他人を犠牲にして成り立つ幸せは本当の幸せではないということです。小さな幸せの対局にあるのは、大きな権力なのです。権力というものは、人と人の関係を崩し、権力を握る人から見れば、一般民衆はその一人一人の顔は無く、ただの数でしかないのです。だからこそ、戦争をして死のうが、民衆の生産物を搾取しようが、関係ないのです。
コロナ禍で、悲惨な生活を虐げられ、さらに酷いことにはウクライナ戦争で個人的に恨みも無い同士で殺し合いを強いられ、ましてや無力の民が虫けらのように殺されることは、大多数の民衆にとって全く意に反することなのです。それなのに、この状況が作られるのは、権力という化け物がいるからです。特に、その権力が一人に集中する独裁という状況がもっとも危険なのです。人間はどんなに優れたひとであっても全知全能の神ではなく、ミスもするのです。そのことを前提に社会のシステムは作られるべきなのですが、権力者がいつの間にか、独裁を可能にするシステム(法改正も含め)を自分の都合いいように作り上げるのです。まだ、日本では、そのような社会システムとはなっていませんが、我々民衆が騙されればそのような道を歩むことも可能性がゼロではありません。その点をしっかり見極めていかなければなりません。特に注意すべきは、不景気、戦争危機という情勢に近づいていくときです。
一方、世界的にはすでに独裁政権となっている国が少なからず存在します。その独裁者が平和主義であればいいのですが、そうでないこともはっきり見えています。それらの国とどう付き合っていくのかが、日本の平和を守る鍵なのでしょう。
しかし、我々が無力なのは、自分の存在が無くなれば世界が存在する意味は無いというような超利己主義に陥る核保有の軍事大国の独裁権力者が生まれたときです。もし、これが現実であれば、地球規模の悲惨な出来事となってしまうのですが、そうならないことを祈ることしか出来ないのです。