20世紀以降、科学技術は急速に発達して来ました。その中でも、電子、IT等の技術が牽引し、いろいろな分野での目を見張る発展が続いています。一方、人間の精神面はどうでしょうか。紀元前から唱えられていた哲学の内容が、自然科学的な知識、知見が膨大に増えていることを差し引けば現代の人間にも十分適応できることを考えますと、この面では人間はあまり発達していないのかもしれません。
 そのような未熟な人類には科学技術が生み出す産物の中でコントロールできないものが増えて来ました。最たるものが武器です。ダイナマイトは発明者のアルフレッド・ノーベルに莫大な富をもたらしました。彼はこの画期的な爆薬が生み出すであろう悲劇を憂いて、人類の幸福の為の発明にノーベル賞を授与するべく莫大な資産を遺したのでした。ダイナマイトの威力はその時代では驚くべき大量殺戮を可能にしたのですが、それはほんの序章でしかなかったのです。その後、殺人兵器の進歩は凄まじく、とうとう核兵器に至ってしまいました。今では、米ロ中などの総保有核兵器で、地球全体を何度も破壊するほどの威力があるところまで来てしまいました。人類はとうとう地球を破壊する術を保有したのです。しかし、人間はそのような悪魔の力をコントロールできるだけの知恵が備わっているのでしょうか。これまで核兵器は戦争の抑止力として、限定された一部の国だけが保有していました。しかし、この悪魔の力を手に入れようと、イランや北朝鮮が核開発を進めて来ました。世界各国はこのような動きを阻止しようと連携して来たのですが、今回のロシアのウイライナ侵攻で、信じたくない動きが出て来たのです。核兵器を保有する軍事大国は、抑止力としてのみ核兵器を管理すると見られていたのですが、今回のロシアは核兵器を使用する危険性を現実のものとして示しています。
 人間は完全なひとはいません。どんなに優秀なひとでも間違った判断をすることがあります。だからこそ、独裁者がなんでも決められる今回のようなケースは非常に危険なのです。人間の欠点を補うようなシステムがあってこそ、成熟したシステムと言えると思いますが、このような地球規模の破壊につながるような権力者の判断を誰も止められないような社会は本当に未熟な社会システムとしか言いようがありません。
 我々は、どんなひとでも完全ではない、ミスをすることもあるという基本的な考え方をベースにいろいろな社会システムを構築していかなければなりません。個人個人としても、自身の行動に対して、第三者的な視点を持ち、自身の能力を過大評価することなく、謙虚な姿勢を忘れずにいたいものです。

投稿者

弱虫語り部

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