人類の長い歴史は、争いの歴史であったと思います。力の強いものが弱いものを攻めて、土地、作物、人命などを奪うということが繰り返されて来ました。その中で、庶民がいつも理不尽で悲惨な目に遭って来たのです。そのような状況を改善しようと、法律などが整備されて来ました。それにより、人に危害を加えることが罪になることで、ならず者などによる悲惨な行為が減少してきたと思います。しかし、国家間での戦争においては、未だに庶民への無情で悲惨で理不尽な行為が横行しているのを、今回のロシアによるウクライナ侵攻で目の当たりすることになりました。
一般的に法律では強く罰せられる筈の、殺人、暴力、略奪などの行為が、戦争においてはやりたい放題となっているのです。ある程度戦争犯罪ということが規定されていたとしても、これを立証し、罰することが難しい現実がある以上、なかなかそのような悪辣な行為を無くすことができないのです。軍事目的であれば人を殺害しても許されるという例外が認められている以上、戦争犯罪を明確に証明することが難しいのです。
また、そのような状況に付け込み、平時の社会では罰せられる行為をこの場ならと実行する人間がいるのも事実です。平時の法治国家の中では、それらの性質を持った人はある程度抑制されているのでしょうが、戦場では、この箍(たが)が外れてしまうのです。それらの行為を率先するのはDEタイプの人だと思いますが、異常な状況に追い込まれたWEタイプも悪事に手を染めることになってしまうのだと思います。
論理的に考えれば、人々が幸せに暮らす為には、どのような場合であろうが、殺人、暴力、略奪などは罪に問われることが大前提なのです。例外はそのような法律違反や国家としての侵略に対抗する正当防衛だけが認められるべきだと思います。
権力者、指導者が、国民などに正義や道徳や秩序を訴えることがよくあるのですが、それは自身の権力を守るため、自分に従わせるために唱えているものであって、万人を幸せにするためのものではありません。それは、戦争のとき、他国民への仕打ち、自国民の戦士への道具同様の扱いを見ればよくわかります。
我々民衆は絶対に権力者の口車に乗ってはいけません。経済的な問題など例え国民への影響が大きい問題を解決するためにでも戦争を起こそうとすることは絶対間違っているのです。合理的な解決策は他にある筈なのに、自分達の不当性をカモフラージュするために、話し合いをしても無駄だ、戦争以外に道はないんだと訴えるのが権力者の常套手段なのです。
戦争をして一番被害を被るのは自分達一般庶民であるということを忘れずに、権力者の行動を常に監視することが必要です。今回のウクライナ国民の悲惨な状況を見て、さらにその意を強く認識しました。このことが、世界全体の庶民に理解されることを切に願っています。