経済誌の世界長者番付が今年も発表されました。1位の個人資産は27兆円、2位は21兆円と、ある程度の大国の国家予算と同等なレベルだそうです。この資産の多くは、企業の株であり、それを個人で保有することで、安定的な経営が出来るというのが、これらの資産家達の言い分です。確かに、多くの株主のことを考慮していては、スピーディな経営判断が行えないということはわかりますが、だからと言って少数の個人が会社を独裁的に支配する以外のやり方は無い訳ではありません。例えば、従業員全員で過半数の株式を保有することだって可能です。株主総会で、従業員が取締役を投票選任し、選ばれた社長以下の役員が経営を担うことでも機能すると思います。この案の背景は、人間はミスする生き物であり、独裁を許すと、そのミスを正すことが出来なくなるという大きなリスクを排除することにあります。併せて、富の極端な偏りを無くすことで、富のある程度の分配を可能にするのです。
このブログで訴えていることのひとつに、人類の争いは権力、富の奪い合いに多くの原因があると言うことです。一部の超富裕層が地球全体の富のほとんどを支配していて、残りの少ない富を多くの人々が奪い合っている状態なのですから、貧困、飢え、そこから派生する争いが無くならないのです。また、そのような庶民の苦しみにうまく付け込み、独裁者が生まれていくのです。そういう意味で、政治的な独裁も、経済的な独裁と根はつながっているのかもしれません。
旧ソ連も中国も共産主義を目指していましたが、現実はビジネスで成功したひと以外に、指導者、権力者も多くの富を蓄財しています。この点では、西欧諸国と何ら変わりません。一部の富裕層が富を独占し、多くの民衆が貧しい暮らしを強いられている現実があります。
確かにある程度は努力や能力のお蔭で、権力や富を獲得したとは思いますが、たまたま運に恵まれた要素も無視できません。それなのに、多くの貧困層を尻目に超富裕層は法外に贅沢な生活を享受しているのです。人間の価値は、現在の貧富の格差ほど大きな差が無いのが真実ですが、権力、富を握ったものはそれを離そうとはしません。本来は社会に還元し、貧しい人々に再配分すれば、多くの人々がある程度の生活を出来るようになるのです。国民の為、従業員の為と唱えている政治家も、経営者も、自分や家族が法外に贅沢な生活をしているとすれば、彼の言っていることは疑った方がいいと思います。
私は、富を完全に平等にしたいと言っているのではありません。努力によって、ある程度は得られる収入にも差があっていいとは思いますが、資産が27兆円とゼロのような極端な差がつかないような社会システムを考えなければならないと思います。その為に、資本主義で、経営者側が会社の株式を独占して、巨大な富を持つより、その富を如何に多くの人に分配することの方が多くのひとを幸せに出来ると思うのです。単なる金儲けではなく、この真理をベースにした次世代の経済学が求められると思います。