人間は生まれて、長い時間をかけて、いろいろな知識、技術などを習得し、さらに熟練して社会に役に立つ産物を生み出します。それは有形の食料、衣料、住宅、工芸品、工業品もあれば無形の芸術、発明、発見、娯楽などもあります。いずれにせよ限られた時間の中で生産できるものには限りがあります。一方、現在の社会において、それらの産物の価値はお金に換算されます。特に、無形の産物の価値に対しては、その基準は不明確で、ほんの一握りの人間しかその価値を見出せない場合も多くあります。その価値は、その時代時代で変遷することもよくあり、結局は超富裕層の道楽的な判断に委ねられているとも言えます。
もし、その産物の価値を、それを生産する為にかけた原材料費、生産に必要な設備、機械類、人間の労働の時給から計算されたコストの総計とすると随分明確で現状より安価なものになると思います。これがものの価値のベースですが、後にどれだけの利益が上乗せされるかは、その産物にお金持ちがいくらならお金を払ってもいいかという競争入札的な力が働き決まるのです。
一方、人間が生きていくのに最低限必要な衣食住の価格は、一部の例外は除き、ある程度コストに支配されていますので、青天井のように膨大ではありません。それらは太陽など自然の力がベースになり生み出されたものに人間の労働という力が加わり出来上がります。有限であるお金をその産物を得る為に使用するという単純な構図にすれば、人類のほとんどの人達がある程度飢えたり、凍えたりすること無く暮らせる世界になると思います。
しかし、限られたお金のほとんどを握っている超富裕層が、自分の趣味趣向の為に、法外なお金を使っているので、飢えた人々の最低限の生活に必要な衣食住に関わる物にお金を回すことが出来なくなっているのです。
分かり易く例えますと、人間は本来生きていく為に自給自足することが可能です。真面目に働けば、自分の食い扶持を稼ぐことは、太陽や自然から与えられたエネルギー、産物によって可能になるのが、大自然の構図です。しかし、自然は時に大きな変化を示し、その為に十分な産物を得ることが出来なくなり、ときに多くの人間が飢えたりします。このような事態に対応する為に、人間は社会を形成し、助け合ったり、食物を蓄えたり、それらを効率良く作る為に、技術を磨き、その為、分業化し、専門化することになって行きます。大きく分業化されたことにより、物を流通させなくてはならなくなり、物々交換では限界が来て、お金というものが生み出されるようになりました。社会がうまく統率されて回っていればいいのですが、それは簡単ではなく、そのため政治家、役人というものも必要になって来ます。また、絶えず他人の産物、お金を奪うようなことが頻繁に起こるようになり、その為、それを守る為の軍事力が発達し、軍事を専門にするものも生まれ、結局、政治力より軍事力がすべてを制していくようになって行ったのでした。歴史を見ても、軍事力を背景に政治力を持ったリーダーが生まれ、それらのリーダー達の攻防で、数多の国が生まれたり、消えたりして来ました。
第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験した人類は、軍事力による争いが続くと多くの人間が非常に悲惨なことになるということを理解して、それに代わる人民による選挙とそれにより選ばれたリーダー、政治家による統治という民主主義が生まれて来たのでした。しかし、残念ながらこの平和的な精神より、利己的に富や権力を独占しようとする一部の人間達により、未だに武力を前提とした統治がいろいろな場所で行われているのです。その歪により、本来民主主義を標榜する国々も武力を高めて行かざるを得ず、世界全体が、結局武力で勝ち負けを帰するという野蛮的な行為から抜け出せないでいるのです。
これまでの話を整理しますと、人間はひとりひとりが真面目に働けば、生きて行くだけの富を太陽、地球という自然からの産物として得られるような自然界から与えられた恵みを受けることができます。多くの生物はその構図の中で脈々と生を営んでいるのですが、人間は、自身に与えられる恵み以上のものを求めるひとが出て、その構図が崩れて行きます。またその欲望は、他人を暴力などの権力で支配し、庶民それぞれに与えられた恵みを搾取し、富の独占を果たします。この過程で、武力を使用します。武力で本来ひとりひとりに平等に与えられた恵みを奪い盗るのです。
このようなことを理解しますと、多くの民衆が幸せに暮らすには、富の搾取、独占を排除し、その行為に利用する武力を排除することが真の意味での秩序だった平穏な暮らしを保障してくれることが判ります。この考えを本当に理解できますと、軍事活動しか答がなかったというような独裁者の言い分がいかにまやかしかということが判ります。我々庶民は、どんなに理屈を並べて国の為、国民の為と言っても、武力に訴えることが正しいと言うようなリーダーを信じてはいけません。いつも述べていますが、どのような大義名分があろうとも、戦争で悲惨な目に遭うのは我々庶民なのですから。