このブログでは3.「非常におおまかだが、本質的なひとの分類」に示しましたように、人間を3タイプに分類して、人の行動を考えることがありますが、今回はDEタイプについて、もう少しお話したいと思います。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎回見ています。北条義時を主人公に、いかに北条執権政治が出来て来たのかというストーリーです。前半は北条氏が源頼朝を支えて、鎌倉幕府を成立させる過程が描かれていますが、ここ数回は頼朝の非情なやり方が際立っています。頼朝は、父親を殺した平家を討つことに執念を燃やしていて、その目的を遂げる為なら、自分を支えている部下をも平気で殺すことができる人間のようです。ドラマではこの後、従弟の義仲も討ち、平家討伐が完了した後は、弟である義経も殺してしまうのは有名な話です。DEタイプの定義として、自分の欲望を遂げるためには平気で人を利用することができるとしていますが、頼朝の行動は正にそれに当てはまる訳です。しかし、彼が本当に私の思うDEタイプかどうかは、決めかねているところがあります。と言いますのも、私が対象としていますのは、近代の法治国家が成立した後の世界で生きている人間です。今回の舞台となっています平安、鎌倉時代は弱肉強食が当たり前の時代であった訳でして、そのような環境下でどうだったかは、私の分類も当てはまらないかもしれません。同じように、北条政子も鉄の女と呼ばれるように、北条氏の為には、自分の腹を痛めた実子の二代将軍頼家、三代将軍実朝の暗殺に深く関わっているほどの非情さを示しています。現代の通念で考えますと、このような行為はDEタイプの典型と言ってよいと思いますが、当時の人間をどう捉えるかで、判断は変わって来るかもしれません。つまり、人間の常識は、生まれ育った環境に大きく左右されるのです。それらの時代のように、個々の人権よりお家大事であると生まれてからずっと教育されていると、WEタイプの人間でも、DEタイプのような行動をとれると言えるかもしれません。そういう意味で、現代のように個々の人権尊重が重要であると教えられて来た環境で、頼朝や政子のような行動を平気でとれるのであれば、間違いなくDEタイプです。例えば、最近、よくニュースで報じられるような自分の子供を虐待して殺したり、愛人に殺されるのを止めようともしない母親、もちろんその愛人もですが、自身の欲望の為には例え子供であろうが虐めたり、殺したりできるひとはDEタイプです。肉親ではなくとも、例えば、強盗に入った家で、金品を盗む為に家人を平気で殺せるような人間も同類だと思います。つまりは他人の痛みなどについて想像できる感情が無いひとがDEタイプなのです。
人権というものは、個々のひとが他人のことを尊重し、併せて自分自身のことを尊重されるというお互いに尊重し合い、平穏に人間らしい生活ができる権利だと思います。DEタイプは自分の権利の為には、他人の権利など気にかけないひとなのです。
このような人権ということが叫ばれる前の世界では、多くの民衆を殺して自分の思いのままになる国を作り上げたら英雄とされていました。しかし、それは前述しましたように、ひとびとの受ける教育が弱肉強食で勝ち抜くことが前提の世界であったからで、現代のように人権ということを重要視する世界では、もはや英雄とは言えないのですが、未だに前近代的な考えに固執しているひとがリーダーとなる国がまだまだ存在するのが非常に不都合な現実なのです。