街を歩いていますと、あちこちで目につきますのはコンビニです。意外なのですが、その次に目につきますのは、神社仏閣、祠だと思います。広く大きいお寺や神社もありますが、小さな祠に七福神のひとりを祭られているものや、お地蔵様まで数えて行きますと相当な数になります。人類がこの地球に生まれて、文明が出来た頃からか、否それより前からかもしれませんが、神への信仰は続いて来ました。もともとは、大自然の中で人類は飢えや災害などに幾度となく翻弄されて来ましたので、自然への信仰が神様への信仰へと続いて行ったのでしょう。宇宙規模、地球規模の世界の中で、ちっぽけで弱い人間は、理不尽な災いに対処できずに、それこそ神に頼るしかなかったのでしょう。
 近代以降、科学技術の大幅な進展により、かつての災害についてもそのメカニズムも解明されつつあり、神頼みではない科学的な対応策をうてるようになって来ました。しかし、地震や大規模な自然現象については、まだまだ完全な対応は出来ないレベルで留まっています。しかし、今回のロシアによるウクライナ侵攻で明確になったのですが、それらより最も遅れているのは武力で侵略されたときの問題です。真面目に生きている人達が、理不尽に殺されたり、家を焼かれたり、それこそ、どうしてこんなことになるのかという非常に理不尽な思いをされていると思います。映像関連技術や衛星技術、ネット技術などのお蔭で、そういう状況が手に取るように世界の人々が見られるようになっています。その悲惨な様を見る度に、なんとか出来ないものかと、世界の多くの人々が願い、何もできない無念さを噛みしめているのではないでしょうか。それは、大自然に翻弄された古代の人々と同じで、神に祈ることしかできないのでしょうか。
 これだけ科学が発達し、これまでの歴史を学び、人類が少しでも幸せになる為に、いろいろな仕組みを作って来ました。ひとつは、共通理念としての法律です。これによりその法律の及ぶ国の中では理不尽な行為は罰せられるようになりましたが、今回のウクライナ侵攻のような国際的な争いには通用しません。国際法というものが存在しますが、残念ながら、万国共通でもありませんし、それを裁くシステムが実際上、機能できないような仕組みとなっていると思います。国際紛争は、結局、その戦争に勝った国々が裁くということで、どうしてもその裁き自体に理不尽な行為が含まれていると思います。
 人類が本当に成熟する為には、まずは人間が起因する理不尽な行為をきちんと裁くことができるような国や宗教などという枠組みに囚われない共通した法、ルールを制定することであると思います。しかし、これを作る場である国連という組織は、結局、国々の利害、損得勘定に翻弄され運営されているので、あまり期待はできません。結局、国連に代わる、国を構成単位とするのではなく、国籍を問わない国境の無い国際的な組織を作らなければならないと思います。どうしたらそのような動きを生み出せるのかが、21世紀を平和なときにするのか、破滅のときにするのかを決める鍵となるでしょう。
 

投稿者

弱虫語り部

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