岸田政権が発足し、10日後に衆議院を解散しましたので、現政権の評価はこれからとなると思いますが、この機会に約一年間の菅政権を振り返ってみたいと思います。久し振りの世襲議員ではない叩き上げの人材ということで、期待感もありましたが、会見などの受け応えを見ていて、どれだけ自身の言葉で話されているのか判り難いひとだと感じました。また、所信表明での次のような結びの言葉、つまり、{私が目指す社会像は、「自助・共助・公助」そして「絆」です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指します。そのため、行政の縦割り、既得権益、そして、あしき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。「国民のために働く内閣」として改革を実現し、新しい時代を、つくり上げてまいります。}とありました。
その後の事態で、このようなことを本気で考えられているとは思えないような事が浮かび上がって来ました。もともと、安陪政権の悪しき問題、モリカケ、桜を見る会の問題で、まずいことには蓋をするやり方、都合の悪いことは、証拠である公文書を破棄、改竄するというやり方、そして、それに対する国民の声を無視し、御座なりの調査で終息させるやり方、そして、それでちゃんとやったから、もうお終いだと押し通すやり方は、やはり菅政権でも継承していると言わざるを得ません。既得権益、あしき前例主義を打破するとよく言ったものです。具体的には、学術会議の委員任命拒否の問題でも、その理由を明かさない、やましいから明かせないのであろうと勘繰らざるを得ない。個々の人事の問題だから言えないというなら、個人と結びつけないで、どのような点が問題だから、拒否したということを明らかにできると思います。
菅さんは、多分WEタイプの能吏だと思いますが、真に国民のことを考えて、誠実にことにあたるタイプではないと思います。自分は正しいことをしている、それに逆らうものは恣意的に排除してもいいという根性をしておられると思います。他人のこころに寄り添い、いろいろな人々のことを理解しようとはされないタイプだと思います。そんな優しさは弱いもので、厳しくなければ改革なんて出来ないと考えられていると思います。日本を良くするには、犠牲者を作っても致し方ないという主義の方でしょう。人間は過ちを犯す動物です。常にそのことを念頭におき、自分に逆らう意見にも、耳を傾け、どこかに自身に間違いがあるかもと常にチェックして進めるくらいの度量の大きさが、真のリーダーには必要ですが、それはAEのひとでないとなかなか望めないみたいです。能吏のWEではなかなかできないことでしょう。