給付金の送金ミスの問題が話題になっています。もともと役所の人間の事務処理のミスが発端となった事件ではありますが、ひとりの若者の人生を狂わすことにつながってしまいそうなまるでドラマのような事件です。若者の理屈は、ミスをしたのは役所側なのだから自分がとやかく言われるのはおかしいとなるのでしょうか。役所は住民から集めた公金の取り扱いについて今回のようないい加減なミスを起こすことはあってはならないと思いますが、人間が介在することですから、ミスが起きることをゼロにすることは難しいとも言えます。今回のようなミスに対しては、後追いで対策が講じられるでしょうが、いずれまた全然違うミスを起こすのが人間なのです。一方、この若者が大金で魔が差したことも、WEタイプの人間には起こりうることでしょう。テレビなどでは、民事、刑事の両面での事件として、いろいろと取りざたされています。この若者がこのような状況を冷静になって考え直して、お金を返還することが誰もが傷つくのが最も小さいケースと思いますので、そう行動することを願わざるを得ません。
今回の事件の舞台は、生き馬の眼を抜くような都会と違い、のどかな田舎町です。役所のミスも若者の気の迷いも、おおらかに吸収されるような血の通った社会であればと思います。取返しの効くミスや行動であれば、それを反省して心を入れ替えるのであれば、おおらかに許されるのが、完璧ではない我々人間というものが助け合い、幸せに生きることができる理想的な社会だと思います。そんなこと言うのは、甘過ぎると言われるひともおられると思いますが、それは人間の不完全さ、弱さを否定した建前主義だと思います。新ハルモニア主義の理想は、ひとりひとりは長所も短所も両方持っているのが大前提で、お互いの長所を活かし、お互いの短所をカバーし合うような社会システム、構造を作ることを目指しています。最も注力すべきは、取返しのつかないような、例えば殺人などのような凶悪な犯罪、多くの人を不幸にするような行動については、それが起こらないように最大限の努力を講ずべきなのです。一方、人間の起こすミスを少しでも減らすように、機械やIT、AI技術などをさらに進化させるべきとは思いますが、人間のミスを完全に抑え込むことはあまりに膨大なエネルギーを要しますので、その為に人間の普通の生活を犠牲にするようになっては本末転倒です。何度も言いますが、取返しのつくようなミスは、それが起きてもカバーし合えるような社会を目指すべきだと思います。