東日本大震災の原発事故が原因で甲状腺癌になったと訴える原告団に対して、福島県や東京電力は、その因果関係はないという抗弁をしています。原告のひとりを取材したテレビを見ました。事故後数年で甲状腺癌を発症した若い女性は、手術後も転移や将来への不安などに悩まされています。状況的に、原因は原発事故による被曝である可能性は高いと思われますが、県や東電は、科学的ないろいろなデータを示し、確かな因果関係は無いと主張しているようです。原発事故によって多くの人に危害が加えられたことは明確なのですが、それを個人との関係に落とし込むときの証拠が非常に複雑なことを利用した抗弁だと思われます。確かに、性悪説に立てば、もし原発事故に由来しない癌発症のひとが便乗して補償を得ようとすることの可能性は否定できませんので、きちんとした確証を導く証拠の無いケースは認めないというやり方なのだと思いますが、訴えた人のバックグラウンドやこれまでの生き方まで検証すれば、そこまでの厳しい証拠が無くとも因果関係を認めてもいいと思います。
政治家や役人は、都合のいいときは性悪説を持ち出し、弱者である被害者に非常に冷酷に対することが常です。一方、自分達に利のある場合は性善説を持ち出し、これも弱者である市民に対することもあります。例えば、法律に不備があって、悪者がその穴をついて、犯罪を起こした場合の言い訳は、そのような異常なケースは想定していなかったと自己弁護するのです。法令を定めるときこそ性悪説に立って、悪者が抜け道を見出せないようにすることが必要なのに、それを出来ていないと、(性善説で)国民、市民を信じていたような言い訳をするのです。新ハルモニア主義で主張している事のひとつは、人間はおおまかに大別すると三種類あって、性善説が適応できるような人もいるし、性悪説を適応できるひともいて、人間全部をひとまとめに性善説、性悪説で括るようなことは無理があるということを述べています。多分その現実を分かった上で、ご都合主義の政治家や官僚は、自分の都合のいい方を、その時々で使い分けるのです。出来るだけ多くの国民、市民を幸福にすることを目的とした公僕であれば、自身の言動や行動についての責任逃れをし、保身することに努めるのではなく、国民、市民に寄り添った行動をし、弱者である市民に救いの手を差し出すべきだと思います。